「繊細さん」が教員になって《生徒指導編》

「繊細さん」という言葉をご存知ですか。2018年に出版された武田友紀さんの『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本』(以下『「繊細さん」の本』)が話題になったことで浸透した言葉です。

「繊細な人」は、アメリカの心理学者エイレン・アーロン博士が提唱したHSP(Highly Sensitive Person)という概念がもとになっています。繊細な人がもつ「繊細さ」は、性格上の問題ではなく、生まれ持った気質の可能性が高いとされています。「敏感すぎる人」「とても敏感な人」は、5人に1人の割合で存在すると言われています。

私は幼い頃から家族や友人、周囲の人たちの気持ちや状況をとても敏感に察する子どもでした。その傾向は小学3年生くらいから特に強まり、教室の中にいると「あ、もうすぐ先生怒りそう」とか、「あの子とあの子、最近ちょっと様子がおかしいな」「あの子は私のことが嫌いなんだろうな」とか、いろいろな情報を感じ取ってしまうため、学校から帰宅する頃になるとヘトヘトに疲弊しきっていました。

そんな自分が「もしかして私はHSPなのでは?」と思い始めたのは、この本が出版された2018年頃、教員4年目のことでした。一般に「繊細さん」は、気がつきすぎて生きづらいと言われるようですが、繊細な気質を持っているからこそできる仕事、繊細だからこそできることがたくさんあると感じています。今回は「繊細さん」の傾向のある自分が教員になってみて感じたことを、《生徒指導》の観点にフォーカスしてまとめてみようと思います。

「繊細さん」とは?

『「繊細さん」の本』には、「繊細さん診断テスト」というものが掲載されています。一般に繊細さんによく見られるとされる傾向の一部を抜粋しておきます。

・自分を取り巻く環境の微妙な変化によく気がつくほうだ

・他人の気分に左右される

・光や音、手触りに敏感

・人が何かで不快な思いをしているとき、どうすれば快適になるかすぐに気づく

・生活に変化があると混乱する

・あまりにもたくさんのことが周りで起こっていると、不快になり神経が昂る

このほかにも様々な特徴が書かれているので、気になる方は本書をご覧ください。

私はこのうち、「自分を取り巻く環境の微妙な変化によく気づく」傾向が特に強いと自覚しています。相手が気持ちや考えを言葉にしなくても、表情や仕草、声のトーンなどから相手が何を望んでいるのか、何を考えているのかを感じ取ってしまいます。察することが得意が故に、自分が知らなくてもいい情報まで自分の中に入ってきてしまい、子どもの頃は学校やクラスといった環境が苦痛で仕方ありませんでした。(そんな自分が今や教員として教育現場で働いているので、人生何があるか分かりませんね)

繊細さは「生きる上でのベース」

武田さんは『「繊細さん」の本』の中で、“繊細さんにとって繊細さは「生きる上でのベース」“と述べています。「繊細さん」は「感じる力」が強く、感じる対象は多岐にわたるとされています。

【人間関係に関するもの】

・人の感情

・場の雰囲気

【自分の外側にあるもの】

・光や音、気温

・環境の変化

【自分の内側で起きていること】

・体調

・自分自身の気持ち

・新しいアイデア

私自身もこれらのことに気がつきすぎるという実感があります。頭の中が常にフル回転していて「気が休まらない」状態が続いています。ですが、これが自分にとっては当たり前の状態なので、「ああ、今の私は苦しいな」とか「気が休まらなくて辛いな」とかそういう気持ちが顕在化することはほとんどありません。

冒頭でも触れたように、「繊細さ」は生まれ持った気質の可能性が高いです。あえて鈍感になろうとすることは自分自身を否定することでもあり、かえって自信や生きる力を失ってしまう可能性もあると、武田さんは述べています。目に見えるものはどうしても情報として目に入ってきてしまうし、聞こえるものも聞こえないふりをしても耳に入ってきてしまう。感じないようにする・見えないふりをするということができないのは、繊細さが「生きる上でのベース」になっているからなのです。

繊細さを生かす

私の場合、繊細な気質・HSPの傾向をもつが故に苦しさを感じていたのは学生時代(特に小学生〜高校生)でした。社会人になってからは苦しさを感じる機会が学生時代に比べて格段に少なくなったと実感しています。それは、年齢を重ねるごとに繊細さを上手くコントロールする術を身につけたということもあるかもしれませんが、第一に、今の自分が繊細さを活かして仕事ができているからだと思います。

2022年3月現在私は教員7年目ですが、ありがたいことに「先生はいつも生徒に寄り添ってくれる」とか「先生がうちの子の話をたくさん聞いてくれたから学校を続けられた」などと言っていただくことがあります。また、「先生は生徒のことをなんでもお見通し」などと言う生徒もいます。私自身、生徒一人ひとりと向き合い、寄り添うことのできる教員でありたいと思って日々の職務にあたっているので、こういった言葉をかけていただけるのはとても嬉しいことです。それも、自分が繊細な気質を持っているからこそだと思っています。

【生徒の小さな変化に気づきやすい】

ホームルームや授業で教卓の前に立っていると、生徒の様子がよく見えます。それは、「真剣に話を聞いているな」とか「眠たそうにしているな」とか、はたまた「授業そっちのけで別の授業の課題をやっているな」とか、そういった目に見えて分かる生徒の表情や態度だけでなく、「最近元気ないな」とか「何か考え事をしてるな」とか「落ち着かないな」といった言語化されない心の内もなんとなく見えてきます。

その他にも、生徒の交友関係の変化に気がついたり、言葉遣いの乱れから何かしら環境に変化があったのではないかといったことも見えたりします。

「最近○組の△△さんの様子が気になるんですが」と学年主任と何気なく会話した数日後、その生徒が問題を起こして指導を受けたといったこともありました。

小さな変化に気づくことができるため、問題を未然に防止したり、生徒の悩みを早い段階で聞いたりすることができます。

【繊細な生徒の気持ちを理解できる】

クラスの中には自分と似た繊細な気質をもつ生徒がいることがあります。「クラスメイトの話し声が気になって集中できない」「○○さんの言葉遣いに傷ついてしまう」「隣の教室で他の先生が怒っているとそっちに意識がいってしまう」「先生が他の生徒を叱っているのを見ると、自分も叱られている気になる」といった相談を受けることがあります。自分も子どもの頃、「そんなの気にしないでいいよ」とか「そんなのいちいち気にしていたら疲れちゃうよ?」と親や先生から言われたことがあります。ですが、気にしないということができないのが「繊細さん」です。

そんなとき、同じ繊細さんとして気持ちを理解してあげることができます。武田さんは著書の中で、繊細さんは「感じる力」が強く、相手の話を深く受け止めながら聞いたり相手のニーズを感じ取り細やかにケアすることができると述べています。「繊細さん」には聞き上手な人が多いということです。また、価値観の異なる相手であっても簡単には否定せず、話の背景に思いを馳せておおらかに聞くことができるため、話し手からすると安心して話せるし、受け止めてもらえる感じがするとも述べられています。私自身、武田さんの『「繊細さん」の本』を読んで、これまで漠然と感じてきた苦しさやモヤモヤの正体が分かり、「生まれながらの気質なら仕方ない!」と、自分自身をおおらかに受け止めることができました。自分のことを理解してくれる人・モノの存在はとても心強いものです。

また、気持ちの保ち方や意識の逸らし方をアドバイスすることもできます。細かな刺激や情報を拾わない「非・繊細さん」も世の中にはたくさんいるということや、人の価値観は多様であるということ、相手は特に深く考えずに言葉を発しているだけかもしれないといったことを伝えることができます。特別支援学級などでは音に敏感な子どもが耳栓や防音用のイヤーマフをつけていることがありますが、音に非常に敏感な場合にはそういった対処法があることを提案することもできます。『「繊細さん」の本』では、目からの情報や光に敏感な場合の対処法として、伊達メガネを着用してフレームの範囲内だけを見るようにすることや、レンズを1枚通して見ることで楽になるといったことが提案されていますが、そのような方法も紹介することができます。

「繊細さん」だからこそ分かることがあるため、理解を示した上で一緒に対策を練ることができます。

【非・繊細さんに多様な価値観があることを伝えることができる】

突然ですが、これはどんな時の表情だと思いますか?

これは特別支援教育などでよく使用される「表情カード」の1枚です。

私には「困ったな」「まずいことになったぞ」「大丈夫かな」「心配だ」といった表情に見えます。実際のカードには「緊張している」時の表情であると書かれています。1つの表情からもいろいろな気持ちが見えてきます。

では、この表情はどうでしょう。

私には「え〜、嫌だな」「めんどくさいな」「やりたくないな」という表情に見えます。ですがカードには「どうしよう、決められない」とあります。やはり、表情の読み取り方は人それぞれ、というか想像力を働かせるといろいろな気持ちが見えてくるなと感じます。(カードに示された本来の意味を思いつかなかったのは私の読み取りのセンスがないだけでしょうか…?)

同じものを見ていても人によってその見え方は異なるということや、同じ言葉を聞いても何も感じない人もいれば過敏に受け取り傷ついてしまう人もいるということを伝えることで、言葉遣いや他者との接し方に配慮する大切さを教えることができます。もちろん、「非・繊細さん」な生徒だけが気をつけなければならないということではありません。ですが、「非・繊細さん」の生徒に「ちょっとその言葉遣いはきついな」と声をかけると、「え!本当に?そんなつもりで言ったわけじゃないんだけどな」という言葉が返ってくることが多いです。自分自身も相手の言葉や雰囲気を敏感に感じ取ってしまう分、先回りして問題に対処することができます。生徒同士の大きなトラブルに発展してしまう前に、「こうするといいよ」というアドバイスをすることができるのも、「繊細さん」ならではの強みだと思っています。

「学校を出たら学校のことは考えないほうがいいよ」というアドバイス

仕事を終えて電車に乗っている時、テレビを観ながら夕飯を食べている時、お風呂に入ってぼーっとしている時、布団に入ってアラームを設定している時、ふとした瞬間に仕事のことを思い出してしまいます。「今日の授業、上手くいったな」とか「今日のあの生徒の発言面白かったな」とかポジティブなことばかりならいいのですが、「あの生徒が落ち着かないのが気になるな。何かあったのかな。そういえばあの時…」「明日は会議がある。何事もなくすぐ終わればいいんだけど。でもこの前あんな問題があったからきっと長引くだろうな…」などと、ネガティブなことを思い出すと途端に余計なことまで頭をぐるぐる駆け巡ってしまいます。まさに「頭の中がフル回転」「気が休まらない」状態です。

こういう話をすると、「学校を出たら学校のことは考えないほうがいいよ」と言われることがあります。オン・オフをしっかり切り替えるためには「あえて考えない」ことも必要なので、私自身も納得のいくアドバイスです。ですが、「考えない」ということができないのが「繊細さん」の特徴です。こういったアドバイスならまだしも、「家に帰ってまで仕事のことを考えるなんて真面目だね」というような言い方をされることもあります。こういう物言いもさらっと受け流せず言葉を丸ごと受け止めてしまうため、ぐさっときてしまう…こんな時、繊細さをもつが故の苦しさを感じます。

冒頭でも述べたように、繊細さは生まれ持った気質であるため、鈍感になろうとすることはかえって自分自身を否定することになります。そもそも、気づかないように・考えないようにすることができないのです。ですから私は、考えないようにすることをやめました

ポジティブなことを思い出すのは、それだけ小さな喜びに敏感に気づけているからだと考えるようにしています。反対にネガティブなことで頭がいっぱいの時は、それだけ物事を真剣に考えている証拠、明日はもっと良い1日にしようと準備している証拠と考えるようにしています。

このことについて武田さんも、「繊細さん」は「繊細な感覚を通して多くの喜びを感じて生きている」と述べています。「誰かの笑顔や優しさが嬉しい」「大きく感動したり、深く温かな気持ちになる」というのは「繊細さん」ならではの感情です。

繊細だからこそ、傷つきやすいからこそできることがある

繊細な気質をもつが故に苦しい思いをしてきた子ども時代を乗り越え、今の自分が自分らしく、自分らしさを活かして仕事ができているのはとても幸せなことです。教員を目指して勉強していた大学生の頃は、「自分はやや傷つきやすいところがあるけど、本当に先生としてやっていけるのかな」と不安になったこともありました。ですが、実際に現場に出てみると、繊細さを活かせていると感じる場面が多く、少しずつ自分に自信を持てるようになってきました。教員に限らず、繊細だからこそできる仕事はたくさんあると、『「繊細さん」の本』を読んで実感しました。一見すると生きづらい側面の多い「繊細さん」。でも、繊細であることを受け入れて、それを自信に変えることが大切なのだと気付かされました。

今回は生徒指導にフォーカスして書いてみましたが、教員は生徒と接する以外の仕事もたくさん抱えています。次回は「繊細さんが教員になって《職務編》」をまとめてみようと思います。

自閉症スペクトラム障害のある子どもの青年期における「こだわり行動」への対応

「自分なりのルールや習慣があって、それを変更されるとパニックになる」「気に入った遊びや行動を繰り返す」といった「こだわり行動」は、自閉症スペクトラム障害(以下ASD)の子どもの特性としてよく見られるものです。

しかし、ASDをもつ中学生(青年前期)と関わる中で、一般にASDの特性と言われる「こだわり行動」とは少し違った特性が見られることに気づきました。

今回は、私自身が感じた青年期における「こだわり行動」の特徴とその対応についてまとめます。

青年期における「こだわり行動」の特徴

私自身がASDの生徒と関わる中で見えてきた青年期における「こだわり行動」の特徴は以下の3点です。

①同じこと・分かりきったことを何度も聞く

②ゲームなどで1番にならないと不機嫌になる・怒る

③間違いを受け入れられず引きずる

一般的に言われるASDの「こだわり行動」の特徴

「こだわり行動」はASDの診断基準となる行動特性です。それは脳機能に由来するものであって、心理的な要因によるものではないとされています。つまり、育て方やしつけ、養育環境に原因があるわけではありません。

ASDの「こだわり行動」の特徴は主に以下の3点に区分されます。

①変化を受け入れられない

②同じことを繰り返す

③新しいことや環境・経験に対して拒否反応を示す

ASDをもつ人は一般に、自分なりのルールや習慣があるとされ、それらが変更されるとパニックになってしまう傾向にあります。また、気に入った遊びや行動、刺激を延々と繰り返したり、体を絶えず揺すったり手をひらひら動かしたりといった単調な動きを繰り返すなどの反応を示します(「常同行動」)。新しい環境や見通しのもてない状況も苦手で、その場にいることや集団の中に参加することを嫌がったり拒否したりすることもあります。その他にも、特定のものに異常に執着(例えば、電車の種類や名前をたくさん記憶している等)したり、食べ物や衣服にこだわったりすることも特徴として挙げられています。

ASDをはじめ各種障害については教員養成の段階から学ぶため、ASD=「こだわり行動」が見られるという特性があることは理解しているつもりでした。その一方で、「こだわり行動って、具体的にどのようなものなのか?」「どのように行動に現れてくるのか?」という漠然とした疑問もありました。発達障害等について書かれた文献にその具体例が示されていることも多いですが、いまいち実態が見えていませんでした。

青年期に発現する困難さはあまり注目されていない?

ところが、実際に中学校の特別支援学級で青年期に突入したASDの子どもたちと関わる中で、文献等でよく言われている特性と実態にはややギャップがあるような気がしてきました。

その気づきのきっかけは先輩教員の一言でした。

冒頭で、ASDの生徒と関わる中で見えてきた青年期における「こだわり行動」の特徴を3つ取り上げました。そのうちの一つ、「③間違いを受け入れられず引きずる」という特性が非常に強い生徒に出会いました。その生徒は比較的知能が高く、自分の学年よりも上の学年で習う漢字も難なく読み書きできるレベルでした。そのため、本人もそこは自信を持っていました。ところが、ある漢字が他の漢字と合わさることで読み方が変わるといった場面に遭遇した時、「この漢字の読み方は○○のはずなのに、どうして違うんだ!」と突然怒りだしました。怒りが落ち着いた後は「自分は失敗したのだ」というふうに解釈し、何時間も落ち込んでしまうということがありました。

その生徒には知的な遅れや情緒の不安定さもあったため、障害の特性から感情をコントロールできずにいるのではないかと初めは解釈していました。しかし、その時の様子を見ていた教員は「彼は本当にこだわりが強いね」と口にしました。その教員の解釈は、間違えたことや失敗したことが悔しくて感情のコントロールができずにいるのではなく、「この漢字の読みはこうだ」という本人の中の認識がある種の「決まり」のようになっていて、そこから外れる状況に陥った時に「ルールが変更された」と感じパニックになってしまうというものでした。

もちろん、障害の程度や子ども一人ひとりの特性によってこだわりが発現する度合いは変わってきますし、この解釈が絶対ということでもありませんが、こういった形でこだわりが現れることもあるのかと実感した瞬間でした。

ASDは1〜3歳の間に発現すると言われています。「自分なりのルールがある」「行動パターンが決まっている」「特定のものを好む・繰り返す」といった特徴がこの時期に見られたらASDを疑う、その判断基準とされています。既にASDの診断を受けているであろう児童期・青年期になると、彼らの生活の中心は「家庭」から「学校」に変わっていきます。集団生活を送ったり学習を進めたりする上での困難さもおそらく経験することになります。ですが、その学校生活や社会生活における「こだわり行動」の特徴やその対応方法があまり取り上げられていないように思うのです。

私たちが文献等でよく見かけるASDの特徴というのは、障害が発現する幼児期に主に見られるものが中心なような気がします。障害の有無を判断する時期に見られる行動の特徴がフォーカスされがちで、その後の段階の特徴はあまり注目されていないように思います。これはASDに限らずその他の発達障害にも同様のことが言えます。一般的に言われている特性と実態にギャップや違和感を感じたのは、ここに原因があるように思います。

本人の自尊心を傷つけずに対応する

「こだわり行動」への基本的な対応方法としては以下のものが挙げられています。

こだわりを完全になくすのではなく、その行動を段階的に変化させる

あらかじめ見通しを示して行動の切り替えをしやすくする

食事や衣服へのこだわり・苦手には段階的にアプローチして徐々に変化に慣れさせる

これらはASDに限らず他の発達障害にも共通する対応で、特別支援教育においては常に意識して行われていることです。そこから更に一歩踏み込んで、青年期のASDの子どもたちへのより良い支援策がないか検討しました。

中高生は子どもから大人へと成長していく、心身ともに非常にデリケートな時期です。この時期の失敗経験がトラウマとなり、その後の人生に影響するということは障害児でなくともよくあることです。その多感な時期に、本人の自尊心を傷つけることなく、障害による困難さ、つまり「こだわり行動」に縛られている状態から解放してあげることが求められます。

【同じこと・分かりきったことを何度も聞く】

「今日○○さん、学校お休みだね」「今日の5時間目は数学だね」など、分かりきったことや事実、目に見えて分かることを教師に繰り返し聞く生徒がいました。最初のうちは丁寧に反応していたとしても、忙しい時やあまりにも何度も同じことを聞かれると大人もだんだんイライラしてきてしまう…場合によっては「また言ってるな」と思いながら無視することもあるかもしれません。

このような質問の繰り返しは「こだわり行動」の1つであるとともに、その子なりのコミュニケーション方法なのではないかと捉えています。本当は先生やクラスメイトとお話したいけど相手に合わせた適切な話題を切り出すことができない、クラスメイトよりも大人の方が関わりやすいというのも障害の特性です。私は毎回の質問に「そうだね」「お休みだね」「次は国語だね」など、手短でも何かしら言葉を返すようにしています。「また言ってるな」と思って放っておくと、かえって頻度が増したことがありました。手短に反応するとともに、別の話題に切り替えたり、他の子との会話のきっかけをつくってあげたりすることで、教師に対する一方的な関わりから、生徒同士の関わりになるように配慮しています。

【ゲームなどで1番にならないと不機嫌になる・怒る】

ゲームの勝敗ばかりは自分の力ではどうにもならないことが多いです。でもそのことを頭で理解したり結果を受け止めたりすることに困難さを示します。悔しがったり不機嫌になったりしつつも、時間の経過とともに落ち着きを取り戻す子が多いですが、時に爆発的に興奮したり、大声を上げて泣いたり、怒って自分自身や周囲の人、物に攻撃する子もいます。そういう子たちを見ていて思うのは、最初のうちはゲームの結果に納得がいかなくて感情を爆発させているが、興奮している・大声で泣いている・怒って攻撃的になっている自分自身に混乱してしまい、感情の爆発が止められなくなっているのではないかということです。

そこで私は、なぜこういう状態(興奮している・大声で泣いている・怒って攻撃的になっている)になってしまったのか、その理由や状況を言葉で説明するようにしています。「上手くできなくて悔しかったから泣いているんだよね」「勝てなかった自分が嫌で、自分のことを叩いているのかな?」など、本人がパニックになって言語化できないでいる心の内をこちらが代弁しつつ、その気持ちを受容し、共感的に受け止めていることを言葉で伝えます。その上で、ゲームのルールを再度説明し、ゲームの場合は運で勝敗が決まることもあるということや、物事が上手くいかなかった時の気持ちの落ち着け方などを説明します。

怒ったり暴れたり、一度パニック状態に陥ってしまうと、周囲の大人はその状態を落ち着かせることに意識が向きがちです。しかし、ASDをはじめ発達障害をもつ子どもの不適切な行動を改善していくためには、根気良く繰り返し教えていくことが重要だとされています。「パニック状態が落ち着けばとりあえず安心」と思ってしまいがちですが、その一歩先に踏み込んで、何がダメだったのか、次に同じような状況になった時はどう対処したらいいのかを繰り返し伝えていくことが大切だと考えます。

【間違いを受け入れられず引きずる】

この事例については先ほども簡単に触れましたが、ある漢字が他の漢字と合わさることで読み方が変わるといった場面に遭遇した時、「この漢字の読み方は○○のはずなのに、どうして違うんだ!」と突然怒りだす子がいました。この時きっかけになったのは「兵役(へいえき)」という言葉です。「役」という漢字は単体では「やく」と読むのが基本ですが、「兵」と合わさることで読み方が「えき」に変わります。本人は学習意欲の高い生徒のため、自信を持って「へいやく!」と発言してくれました。ところがそれが間違っており、いつまでも引きずってしまいました。

このような学習意欲の高い生徒ほど、失敗を恐れたり1回の間違いをいつまでも忘れられずにいるように思います。「まあ、いっか」と受け流すことができない本人が一番苦しいのだと思います。自尊心を傷つけずに間違いを指摘するというのはとても難しいことですが、怒らせたくない・不機嫌になられたら嫌だなと、間違っていることをそのままにしておくことはできません。

「おしい!実はこの言葉は「へいえき」って読むんだよ」と指摘した途端、表情が徐々に曇りだすので、すかさず「でも「役」っていう字が「やく」って読むっていうことを知っていたから、それを思い出して発表できたんだよね!」とフォローを入れ、読み方を間違えたというところから漢字の読み方を知っていたから発言できたというところに意識を向けさせます。そして「そもそも役っていう漢字を知らなかったら予想して答えることもできなかったよね。じゃあ今日は「役」のもう一つの読み方「えき」を覚えてみようか!」というように、本人の学習意欲の高さを活かしたフォローを入れます。すると本人の意識が「失敗」から逸れたのか、「なるほどそういう読み方もあるのか」と納得してくれました。

以前同じような状況になった時、私は「大丈夫だよ!間違えてもいいんだよ!」という声かけをしていました。ですが、本人にとっては全く大丈夫ではなく、こだわりの強い生徒にとって間違いは最も避けたいものです。そのことに気づかず、配慮の足りない言葉かけをしてしまっていました。このような生徒と接していて思うのは、前向きになれるポジティブ言葉のバリエーションを増やすことが大切だということです。教育現場ではただ単に「すごいね」「頑張ったね」と褒めるのではなく、何がどうすごいのか・何を頑張ったのかを具体的に褒めることが大事だと言われています。ASDの子どもに対してはそれにプラスして、間違いや失敗へのフォローを入れつつ、本人の取り組みを丁寧に見取り、前向きな言葉をかけることが求められるのだと気づかされました。

こだわりや困難さの種類や度合いは人それぞれ

ここで述べてきた「こだわり行動」やASDの特徴は、すべてのASDの子どもに見られるものではありませんし、その困難さの度合いも人それぞれです。一人ひとりと深く関わってみて初めて、障害にも個性があるということに気づかされます。文献等で扱われている対応方法が上手くいく場合もあれば、そもそもその子の特性がASDの一般的な特性に当てはまらないこともあるかもしれません。障害児と関わる教師に求められるのは、一人ひとりの特性をよく観察し、個別の対応を充実させることだと思います。学習上、生活上の困難を少しでも緩和させるために、より良い支援方法を生徒たちと一緒に見つけていきたいと思います。

『不登校、頼ってみるのもいいものだ』〜教師と保護者が連携して不登校問題に取り組むために〜

近年、不登校問題は低年齢化しており、特に小学生の不登校が急増していると言われています。2020年度の文部科学省の調査によると、19万6000人もの小中学生が不登校だという結果が明らかになりました。

私は現在、教員として勤務する傍ら、不登校など学校不適応の問題に苦しむ子どもたちを支援する仕事もしています。教員とは少し違った、学校と家庭・当該児童生徒の間をつなぐ役割を担うようになってみて、不登校問題解決には保護者や家庭への支援が重要ということを強く実感するようになりました。

そんな中出会ったのが、フリースクール元気学園の校長を務める小林高子先生が執筆された『不登校、頼ってみるのもいいものだ』という書籍です。

不登校が長期化する原因や、不登校の子どもをもつご両親が心がけること、子どもを助ける親になるための行動のヒントなどが分かりやすくまとめられています。

この書籍は保護者や家族向けに書かれたものですが、教員として不登校児童生徒やその保護者に対してどのような支援を行う必要があるのか、そのヒントが見えてきました。

ご両親のサポートがなければ学校復帰は難しい

私は以前高校の教員として勤務してたのですが、自分の担任するクラスに不登校などの学校不適応の問題を抱える生徒が在籍することが多かったです。

不登校の原因は様々ですが、私が担任した生徒の場合だと…

・環境の変化(進学や進級で人間関係や生活環境が大きく変わったことによるもの)

・人間関係のもつれ(仲の良かった友達との距離感が変わった等)

・保護者との関係

・健康上の問題(ストレスから体調不良が長期化し登校が困難になる)

が主なものでした。

高校は義務教育ではないので、成績や単位の問題以前に出席日数が足りなければ進級することができません。本人が学校に前向きになるまで気長に待つということができないため、不登校が長期化する前に早急に対応する必要があります。

私が担任した生徒に限った事例ではありますが、無事に進級・卒業することができた生徒たちに共通するのは、ご両親が最後の最後まで諦めなかった・踏ん張ることができたということでした。

残念ながら全ての学校や教師が不登校に理解を示しているわけではないというのが現実です。「不登校は甘え」「高校は義務教育ではないのだから無理に学校に残す必要はない」というご意見をお持ちの先生もいらっしゃいます。ですが、様々な偶然が重なって自分の勤務する学校に入学し、自分の担任するクラスに在籍することになったお子さんです。各学校段階によって状況は異なると思いますが、教師が日々不登校の子どもと接する中で取り組んでいることにプラスするかたちで、ご両親へのサポートもできると状況は変わっていくと思っています。

不登校を長期化させる「3つの壁」

小林先生は本書の中で、不登校は二重構造から成っていると指摘しています。

A:学校に行かない/行けない不登校の原因(教育エリア)

B:親の言うことを聞かない/意思疎通ができない親子の葛藤(感情エリア)

更に、不登校を長期化させる背景には3つの壁があることを指摘しています。

※こちらの図は書籍に掲載されている図を再現したものです

「人間関係が上手くいかない」「勉強についていけない」など不登校になってしまった理由が「第一の壁(教育エリア)」に当たります。やがて学校に行けない日が増えてくると、子どもを一番近くで見ている保護者は不安を抱え、イライラを募らせてしまうこともあります。すると子どもとの衝突も増えてきます。これが「第二の壁(感情エリア)」です。そして、不登校が長期化してくると「第一の壁」と「第二の壁」の間に「時間の壁」として「第三の壁」ができてきます。

小林先生は不登校の解決の方向をB(感情エリア)→A(教育エリア)と示しています。不登校の本来の原因に向き合うためには、親子の関係をより良いものにする必要があると指摘されています。

そもそも不登校は「解決する」必要があるのか?

近年は不登校への社会の理解も進んできたように思います。学校以外のフリースクールなどを広く教育の場と認める流れにもなってきています。そもそも不登校は解決する必要があるのでしょうか。学校に復帰させることがゴールなのでしょうか。

小林先生は不登校の難しさについて次のように述べています。

「不登校の難しさは、生きていくための力をつける時期である10代にその準備をせずに大人になっていくこと」

これについては私も同意見です。私は、学校の本来の目的は勉強以外のところにあると思っています。学校は、同年代の子どもたちや、家族以外で一番身近な大人である教師と生活を共にする中で、社会で生きていく力をつける場所です。今は働き方や暮らし方も多様になってきているので、人と関わらずに生活することも可能かもしれません。ですが、人や社会と一切関わらずに生きていくということは不可能です。また、「自分」がどんな人間なのかという認識は、他者と関わる中で形成されていくものだと考えています。社会復帰する先が学校ではなくフリースクールでももちろんいいと思います。ただ、不登校の状態を許容し過ぎると問題を先送りすることになってしまいます。

小林先生は、不登校の裏で行われる「もう一つの教育」についても指摘しています。不登校の子どもの多くに共通しているのは、昼夜逆転するほどにゲームやSNS、ネットに熱中しているということです(もちろん必ずしもそうというわけではありませんが)。私が現在関わっている不登校のお子さんも、日中はゲームをして過ごす、翌日は学校に行くつもりで早く寝ようとするが結局ゲームをやめられずに親に隠れて明け方までやってしまうというお子さんが多いです。ゲームやインターネットがストレスを発散する手段になっている場合もあるので、今すぐ取り上げることが逆効果になることもあります。しかし、それらが子どもにとっての居心地の良い場所になってしまうことが心配されます。

小林先生はそういった「もう一つの教育」の場で「世の中の見方や考え方といった部分で自分を正当化するような独自の価値観をつくりあげていっている」と言います。つまり、「自分のように学校に行かない人は世の中にたくさんいるのだからこれでいいのだ」という価値観を身につけ、学校や社会に復帰するための意欲そのものを失ってしまうことが問題だということです。

親も子どものことをあまり知らない

小林先生は、保護者と面談する中で「親も子どものことをあまり知らない」と感じたと述べています。これは私自身も実感していることです。

保護者との面談の主な話題は生徒の学校での様子についてです。成績面よりも、こちらを気にされている親御さんはとても多いです。特に当時勤務していた学校は、高校入学以前に学校生活に躓いた経験のある生徒が比較的多い学校だったため、お子さんの学校での様子を気にされる親御さんもいらっしゃいました。

「うちの子は小学生の頃から学校ではあまり自分を出せないんです。担任の先生にもおとなしい子というイメージをもたれがちで、あまり自分から話そうとしないので先生にも迷惑をかけてしまっているかも…」

「夜遅くまで遊び呆けていて、親の言うことも聞きません。勉強もろくにしないので、高校を卒業できないんじゃないかと心配しているんです」

「うちの子は学校の様子を何も話さないので、友達と上手くやれているのか、学校は楽しいのか分からなくて心配になります」

などなど、ご家庭の数だけ悩みのタイプも様々です。

保護者や家族は、子どもの学校での様子をよく知りません。というより、知るための機会が限られているので、それは仕方のないことです。思春期になれば、親に対する自分と友達や教師に対する自分を分けたくなるものですし、家以外での自分というものをあまり親に知られたくなくなるものです。

教師が「頼れる存在」になるために

「親も子どものことをあまり知らない」。ここに、教師だからこそできる支援があると思います。教師は保護者の知らない子どもの一面を知ることができる立場にあります。

小林先生は「子どもの理解には、読み解きのヒントをくれる人の存在が欠かせない」と述べています。不登校をはじめ、子どもの成長に何らかの不安や戸惑いを感じている親御さんは、今目の前にいる子どもの姿に一喜一憂しています。それは小中学生に限ったことではなく、高校生も同様です。もちろん、子どもの良いところだけでなくその逆も含めて学校生活の様子を的確にお伝えすることが必要ですが、特に不安や戸惑いを感じていらっしゃる方には家族が知らないであろう子どもの良い姿を積極的にお伝えすることが重要だと考えます。冒頭でも触れた通り、不登校などの問題の解決には保護者のサポートが不可欠です。ネガティブな側面ばかりに意識が向いてしまわないように、教師からの情報提供で「うちの子にはこんな一面もあるのか!」と少しでも前向きな気持ちになってもらえたら、「また明日も学校に行く時間に起こしてみよう」「元気になってもらえるようにおいしいご飯を準備しよう」というように、気持ちを仕切り直すことができるかもしれません。

小林先生は「親のメインの仕事は、(子どもの)トレーナーではなく(子どもの)心のケア」と述べています。ではその「親の心のケア」は誰が行うのでしょう?親も一人の人間です。誰かに頼ったり助けを求めたりしたいこともあるはずです。その「親の心のケア」を教師が行うというのが私の考えです。教師と保護者が一人の子どもの成長を共に見守るチームメイトのような関係になることが不登校支援や生徒指導においては重要です。保護者にとって教師が「頼れる存在」になるために、保護者への連絡やコミュニケーションを密にするとともに、子どもの多様な姿を共有し合うことで信頼関係を築いていくことが大切だと考えます。

まずは家が子どもにとって安全な居場所になるように

不登校はある日突然、急に始まったと思う方が多いですが、実際には休み始める数ヶ月〜数日前にはその予兆となる行動が見られます。その予兆は子どもによって様々で、振り返ってみて「あれが予兆だったのでは?」と後々気づくことも多いです。学校生活を送る中で「行きたくない」「休みたい」という気持ちの種が少しずつ少しずつ積み重なって、もう無理だ!となった時にパタリと休み始めます。学校が子どもの心身の安全を脅かす危険な場所になってしまったから、家にこもるようになるのです。

不登校のお子さんをもつ保護者の方によく伝えられるのが「まずは家が安全な居場所になるように」ということです。不登校は初期対応が重要なので、多少無理をさせてでも登校を促したくなってしまうものです。学校側も不登校を長期化させないためにあの手この手で子どもを教室に誘います。ですが、まずは消耗してしまった心を癒し、学校に行くためのエネルギーを蓄える必要があります。そしてそのエネルギーを蓄える場所が「家」です。家庭内の葛藤(冒頭で触れた「親子の葛藤」・「第二の壁」)を解消し、不登校の本来の原因にアプローチするために、教師が第二の壁の解消に介入することも必要なのではないでしょうか。