現職教員が教職大学院に通ってみて

私は高校の教員として5年間現場を経験したのち、教職大学院に進学し1年間研究活動を行いました。

教育公務員特例法第22条には「教員は授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる」という規定があります。教職大学院で専修免許状を取得するための「大学院修学休業」制度では、3年を超えない範囲の休業が認められています。

今回は、現職教員として教職大学院に進学して感じたことや経験したことをまとめていきます。

多くを得られるか否かは結局自分の考え方次第

結論から言ってしまうと、満足のいく研究・勉強ができるかは自分次第、というのが正直な感想です。後にも触れますが、教職大学院そのものが掲げている理念がとても大きく(もっとはっきり言うと“漠然“としていて)、その理念と実態がかけ離れている部分もあり、残念ながら不完全燃焼に終わってしまった点もありました。

ですが、1年間の院生生活を振り返ってみると、私個人としては得るものの多い、貴重な時間を過ごすことができたと思っています。

とにかく環境を変えて力をつけたいと思った5年目の夏

私が教職大学院への進学を決めた理由は大きく3つあります。

・この仕事を長く続けていくためにも今一度教育について学び直したいと思ったから

・とにかく環境を変えたかったから

・大学時代からの研究を続けたかったから

私は私立校に勤務していました。私立は公立ほど研修が充実していません。年数を重ねるごとに「本当にこのままで大丈夫なのだろうか」と漠然とした不安を感じるようになりました。自主的に研修会やセミナーに参加することもありましたが、土曜日や日曜日も出勤しなければならない学校だったため時間の融通が利かず、なかなか研修にも参加できない状況にありました。

また当時勤務していた学校は、生徒よりも学校の体裁や管理職を最優先する学校で、その方針がどうしても自分の考えに合わず(私が学校の方針に考えを合わせることができませんでした)、日々疑問や不信感を感じながら職務にあたっていました。「生徒のことは大事だし、仕事も楽しいし、やりがいもある。でも、ここでずっと続けていくことはできない」といった心境でした。教師の仕事をこの先も長く続けていきたいという気持ちはあったので、ここではない新しい環境でもやっていけるよう、もっと勉強して力をつけなければならないと思い始めたのが5年目の夏のことでした。

そしてその年の秋には教職大学院の入学試験を受けることになります。大学院進学を意識するようになってから試験当日までの準備期間はわずか3ヶ月ほど。通常の業務をこなした後、帰宅後や休日に試験に向けての勉強をしていました。今思えば、あの時の集中力は凄まじいものでした。「とにかく環境を変えて新しいスタートを切りたい」という一心でした。

「理論と実践の往還」

教職大学院設立の目的・理念は大きく以下の2つとされています。

・理論と実践の往還

・スクールリーダーの育成

「理論」とは大学や大学院での学び、「実践」は教育現場での取り組みを指します。現職教員の場合には、学校の課題を大学院に持ち寄り理論的に考察・検証することを目的としています。そして、大学院での研究を経て現場に戻った後には次世代の教育現場を担うスクールリーダーとして活躍することを目指します。

多様なコース・領域が設定されており、学校教育全般を扱う領域の他、各教科別の専門領域が置かれています。全コース・領域共通の必履修科目として、教育行政・学校経営・教育支援・カリキュラムマネジメント・授業研究に関するものが設定されています。

通常の修了年限は2年ですが、5年以上の教員経験がある場合には1年履修が認められています(派遣の目的や本人の意思によっては2年の場合も)。公立の場合は勤務校に籍を置いたまま派遣という形で大学院で研修をすることが認められていますが、私は私立校勤務だったため、そういった制度はありません。ですので5年間勤めた学校を一旦退職して大学院に進学しました。

現場の問題を解決する具体的・明確な手立てを得ることはできない

必履修科目の「教育行政」や「学校経営」では、教員の働き方改革や長時間労働の問題、教員の服務違反など、社会的にも関心の高いトピックも扱われました。授業担当の教授から「今こんな問題が起こっていますよ」というざっくりした解説があったのち、それぞれのトピックについて学生同士がディスカッションします。現職院生は勤務校の実態を伝え、学卒院生は教育実習での経験などを話します。

現職院生は、長時間労働や教員に課せられる仕事が多岐にわたっているという問題を実際に経験してきているため、こういった問題は特に関心が高いです。実際に現場に戻った後、教育現場に根強く残る慣習を少しでも変えることができないか、その解決策を求めてしまいます。ですが、結局「こういうことが問題になっていますね」という現状のシェアに終止してしまい、具体策までたどり着くことができません。教授からも具体的な提案はありません。

「大学院での学びというのはそういうもの」「解決策が分かっていたら現場はとっくに変わっている」と言えばその通りなのですが、教育現場が大変な状況にあるというのは、教職関係者でなくとも日々の報道で耳にして知っていることです。まだ現場に出ていない学卒院生もその実態を理解した上で、それでも次代を担う即戦力になろうと尽力している人もいます。現状の理解とシェアだけでは物足りないというのが正直な感想です。

教科別の専門領域では、その名の通り自分の教科の専門性を高めるため、授業作りや教材開発が中心に行われました。実際の授業内容は、基本的には大学の教科教育法と大差ないものでした。各自が指導案を作成し、それについて学生同士意見を出し合い、15週かけて完成を目指すというものがほとんどでした。現職院生からすると、「現場に出たら1回の授業にここまで時間をかけていられない」というのが本音です。私が教職大学院に在籍していた時期は、新学習指導要領の実施を目前に控えた時期でした。数十年ぶりに科目構成が大きく変わるタイミングだったため、新しい学習内容を意識した授業作りを個人的には求めていましたが、「実際の教科書がどうなるかわからない」ということで、現状の科目構成のまま指導案作りを行いました。これも個人的には不完全燃焼に終わってしまった点です。

特別支援教育との出会い

ここまで教職大学院に対しての本音をいろいろと書いてきましたが、現在の仕事に繋がるものとの出会いもありました。

必履修科目の1つに教育支援系の授業がありました。実際の生徒指導の事例を扱ったり、特別支援教育の視点から生徒指導を検討することが中心で、個人的には最も関心が高く学びの多い授業でした。これまでは「特別支援教育=障害のある子どものためのもの」という認識でしたが、特別な支援を行うことで全ての生徒の学習・生活を助けることができるという新たな気づきもありました。そこから特別支援教育に関心を持つようになり、のちに特別支援学級に勤務することになります。

1年で修士論文を完成できたのは何でも相談できる関係性を築いてくださったから

「大学時代からの研究を続けたかったから」というのも、大学院進学を決めた理由の一つでした。大学時代の自身の研究テーマが「カリキュラム開発」でした(これについても別の記事にまとめようと検討中)。自分で創り上げたカリキュラムを実際の現場で実践してみて、新たに見えてきた課題や教育現場の実態を踏まえさらにブラッシュアップが必要だと感じていました。実際の教育現場を経験したことを受けて、自身の研究を一旦まとめたいと考えていました。

教職大学院の場合、修士論文の執筆は任意です。私が大学院に在籍していたのはコロナ禍に入ってからだったので、日頃の授業は基本オンライン。指導担当の教授に直接会って指導していただくことも、研究のための文献を付属の図書館で集めるといったことも難しい状況にありました。しかし「1年間で修士論文を完成させたい」という私の意思を指導担当の教授が汲んでくださり、執筆を手厚くサポートしてくださいました。論文を執筆する中で生じるちょっとした悩みや不安を、メールやZOOMを活用して聞いてくださるなど、心理面でのサポートもしてくださいました。そのため「直接指導を受けられない」というストレスを感じることなく研究に取り組むことができました。

履修期間が1年間ということもあり、修士論文の中で提案した新たなカリキュラムを現場で実践し、その成果を検証するというところまで研究を進めることはできませんでしたが、個人的には理論(大学時代の研究+大学院で得た新たな知見)と実践(現場経験や現場の実態)を往還させた論文を書き上げることができたと思っています。

自分の思いや考えを1年間でまとめ上げることができたという経験は、大きな自信になりました。

長い人生のうちのたったの1年間

教職大学院での1年間を振り返ってみて思うのは、この選択は間違っていなかったということです。

先にも触れたように、私は勤務していた学校を退職して大学院に進学しています。安定した専任教諭の立場を捨てて新しい環境に身を置くという決断は、個人的には「賭け」のようなものでした。それだけ現状を変えたくて仕方なかったのです。正直、修了後どうなるかといった見通しもないままの挑戦でした。20代後半になって、大学を卒業したばかりの頃講師をしていた同級生も、無事に専任になって着々とキャリアアップしている様子を見て、「本当にこれでいいのか?」と不安になることもありました。ですが、見方を変えれば長い人生のうちのたったの1年間です。何かを始めるのに早すぎるとか遅すぎるということはありませんが、若いうちにやりたいことに全力で取り組むことができたのはとても幸せなことだと思っています。

大学院という環境に身を置いたことで視野が広がりましたし、大学より高度な知見に触れることもできました。大学院でなければ取得できない資格を取得することもできました(今回は割愛します)。そして、全国の現職の先生方と知り合うことができたことも教職大学院ならではでした。学校は違えど、同じ教育現場で奮闘する者同士分かり合えることがたくさんありましたし、各校の情報を共有できたのも大きな収穫でした。修了後も連絡を取り合える関係性を築くこともできました。

教職大学院を修了すると、専門職学位(「教職修士(専門職)」)を与えられます。教員免許状も専修免許状となります。個人的には上記のような経験ができたことの方が大きいので、専修免許状に変わったことはおまけのような感覚です。

1年間、ないし2年間を充実したものにできるか、それとも不完全燃焼に終わるかはあくまでも自分次第といったところです。ですが自分自身の経験・自己研鑽のために、いつかどこかのタイミングで必要な1年間だったと感じます。個人的な考えをまとめただけにすぎませんが、教職大学院への進学を検討されている現職教員の方、学卒生の方の参考になれば幸いです。

使い方は自由自在!想像力・説明力を鍛える絵カードゲーム

私は現在、中学校の特別支援学級に勤務しており、国語科の授業も担当しています(私の専門は他教科です)。生徒の学習の様子を見ていると、国語科の4つの技能「読む・書く・聞く・話す」のうち、読むこと・書くこと・聞くことについては、小学校までの基礎がある程度身についており、スムーズに学習に取り組むことができますが、「話す」ことについては難しさを感じる生徒が多いように見受けられます。

また別の教科で、バラバラにした4コママンガを起承転結に沿って並べ替えるという学習をしたときに、どのコマが物語の始まりで、どこがオチなのかということを想像することが難しいという実態を目の当たりにしました。

そこで、国語科の学習を通して、想像力や話す力、起承転結を意識しながら物語を読む力を鍛える必要があると考え、それに適した教材を開発しようと考えました。

ヒントとなったのは「ローリーズストーリーキューブ」

ローリーズストーリーキューブ」というゲームをご存知ですか?各面に様々なイラストやマークが描かれた9つのサイコロを振って、出た絵をもとにお話を作っていくゲームです。説明書の冒頭には「無限の遊び方がある」と書かれており、細かなルールが設定されていないため自由度の高いゲームです。例えば、「むかしむかし…」というフレーズから始めて、全ての絵が上手くつながるように物語を想像していきます。物語のオチはあってもなくてもOK。自由にオリジナルの物語を作っていきます。

各面に書かれているイラストやマークは顔や動物、植物、日常生活でよく目にする道具など、小さな子どもでも何のイラストなのかがすぐに分かるものがほとんどですが、一部「これは何だろう?」というものや、見方によっては違うものに見えてくるイラストもあります。個人の自由な発想や解釈によって何通りもの物語を作ることができ、それを他者に説明することもこのゲームの面白さの1つです。子どもたちの想像力や話す力を鍛えるのに大変効果的な知育教材です。

ローリーズストーリーキューブ自体を1つの単元として扱うのではなく、授業の冒頭10分程度で学習のウォーミングアップのような感覚で毎時間継続して行うことを理想としていました。

そのまま教材として導入できるか

このゲームを授業の中に導入しようと検討した時、担当する生徒たちの特性や実態に照らしてみるといくつかの懸念がありました。

慣れるまでにかなりの時間を要するのではないか

軽度であっても知的障害や学習障害をもつ子どもは、読むことにも書くことにも話すことにも時間がかかります。聞く場合も、一度では聞き取れなかったり日常会話のスピードについていけなかったりすることがあります。また、1つのことに慣れたり習慣化したりすることにも時間がかかります。

このゲームを授業の一部に導入することの目的は、「自分で物語を考えることができた!」「それを伝えることができた!」という成功体験を積ませ、自信をつけさせることです。

この活動自体が生徒にとって「すごく難しいゲーム」になってしまうと「習慣化」というところにたどり着くまでが大きな壁になってしまいます。(もちろん活動が定着するように反復練習を繰り返すことが学校教育においては重要なのですが…)

サイコロ9個をいっぺんに使って物語を作るのは難しいので、まずは2〜3個から始めてある程度ゲームに慣れてきたら個数を増やしていく方法が考えられます。

・学校の予算的に複数個購入するのが難しい

とりあえず1セットだけ購入してサイコロを分け合いながら使ってみようと思いましたが、当然数が足りないと何もできずに待つ生徒が出てしまいます。では人数分購入しよう!と思っても学校の予算にも限りがあるのでそれは難しいのが現状です。

・カラフルでやわらかなイラストの方が馴染みやすそう

これは個人的な感覚です。実際のローリーズストーリーキューブは白地に黒い線で絵が描かれているので、カラフルだと可愛らしいかなぁと思いました。(ネットで調べてみると、アニメのキャラクターをモチーフにしたサイコロも販売されているようです。)

(私が担当している生徒の実態に則してみると)販売されている形のままでは導入が難しそう…ならば自分でアレンジしてみよう!ということで絵カードを作ってみたわけです。

「カラフルで可愛い!」

絵をwordに貼り付けて印刷し、ラミネートした手作り絵カードです。大きさは4cm×4cmくらいです。全部で60枚作成しましたが下の写真はその一部です。

イラストは「いらすとや」さんのフリー素材を使用させていただきました。使用したイラストは、ローリーズストーリーキューブに描かれているイラストやマークに沿っていますが、「このイラスト使えそう!」というものも追加しています。初めてカードを見せたとき、生徒からは「カラフルで可愛い!」「この絵が好き!」という声が上がり大好評でした。

物語作り以外の使い方で授業が活気づいた

絵カードを箱に入れ、くじ引きの要領で引いて出た3〜4枚のカードを使って自由に物語を作る活動に挑戦しています。しかし、「自由に想像して」とは言っても物語を作るのは簡単なことではありません。特に子どもたちは「オチ」や物語の落としどころを作らなければいけないという意識が強いようで、ゲーム感覚で取り組むまでにはもう少し時間がかかりそうです。

物語作り以外にも、この絵カードの活用方法は様々あります。今子どもたちが熱中して取り組んでいるのがこの絵カードを使った「スリーヒントクイズゲーム」。1枚の絵についてのヒントを3つ考え、クイズを出題するというゲームです。例えば「リンゴ」の絵ならば、「色は赤です」「形は丸いです」「果物です」といった3つのヒントを出して何の絵かを回答者に想像させます。

出題者は絵に描かれているものの名前を出さずにそれを説明しなければならないため、想像力を働かせ、且つそれを言葉にして説明する力が鍛えられます。回答者は説明をしっかり聞いて、何についての説明をしているのか想像力を働かせます。出題者も回答者も、それぞれが達成感を得られる活動です。

全員に絵カードを1枚ずつ引かせ、3分ほどでヒントを考えさせ、順番にクイズを出すという流れで実施していますが、1回の活動が短時間で完結し、すぐに結果が出るのがこのゲームの利点だと考えます。あっという間に1周が終わるので、「もっとやりたい!」「もう1回やろう!」「先生もクイズ出して!」という声が毎回上がります。この、「もっとやりたい!」という気持ちで活動できるのが何より理想的ですし、授業者である私もとても嬉しいのです。

既にある教材やゲームからヒントを得る

生徒の実態を把握し、どんなことに躓き、どんな力を育てる必要があるのかを考えたとき、それをサポートしてくれる教材やゲームは山ほど存在しますが、それが目の前の生徒にそのままフィットするかというとそれは難しいのが現実です。しかし今回の教材開発をしてみて、思わぬとこをに教材作りのヒントが潜んでいることもあるのだなと感じました。絵カードを使った物語作りに慣れてきたら、ローリーズストーリーキューブも授業に導入しようと考えています!

宮口幸治(2019)『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書)を読んで

書籍の概要

児童精神科医である筆者は、多くの非行少年たちと出会う中で「反省以前の子ども」、つまり自分が犯してしまった罪の重さや事の重大さを認識できずにいる子どもが大勢いるという事実を目の当たりにします。自らの行為を見直したり反省したり、更正に向けて努力したりするために必要な力が弱く、また「ケーキを等分に切る」ことさえも難しいほどに認知能力が低い非行少年もいると言います。

彼らの過去を振り返ってみると、勉強ができずに悔しい思いをしたとか、いじめに遭っていた、あるいは虐待を受けてきたといった様々な背景が見えてきます。しかしこのような複雑な背景や困難さを抱えているのは非行少年に限ったことではなく、一般の学校に在籍する子どもたちにも見られる問題です。

子どもたちが自身の困難さのサインを出し始めるのは小学2年生頃からだと言われています。その多くは保護者にも教師にも気づかれないまま見過ごされ、中学生以降に問題行動として顕在化したり、うつ病などの精神疾患を発症したりするケースが少なくないと筆者は言います。こういった問題は、医療・心理分野からだけでは救えないものも多く、全ての学習の基礎である認知機能への支援を行う必要があると考えられています。その一躍を担うのが学校教育であると筆者は指摘しています。

本書では、問題を抱える子どもたちに「自己への気づき」の機会を与え、「自己評価の向上」を促すための指導のヒントや、問題を抱える子どもを前にした教師が行うべき支援などが様々紹介されています。

「褒める教育だけでは問題は解決しない」

私はこれまで高校の教員として教壇に立ってきました。不登校や学校不適応、複雑な家庭環境で育った生徒、人間関係の構築に困難を示す生徒など、様々な問題や困難さを抱える生徒を担任することが多かったのですが、中でも指導が難しかった事例が2つあります。

この2人の生徒に共通していたのは「気さくな人柄」ということでした。ハキハキとした受け答えができ、初対面の相手にも明るく接することができます。一見すると問題のない子、むしろクラスの中心となって場を明るくしてくれそうだという印象を抱きやすいです。そのため問題行動が発言しても教師の目に留まりにくく、勉強が苦手でも、多少忘れ物があっても人柄が良ければこの生徒は大丈夫だと楽観視してしまう危険があります。おそらくこの2人の生徒もそのようにして見逃されてきたものと思われます。

生徒Aが最も苦手としていたのが、課題の提出日を守ることでした。日々の授業や長期休業中に出される課題を期日までに完成させることができず、「できない子」と思われたくない気持ちから嘘や誤魔化しを重ね、課題からも自分自身の困難さからも逃げようとしていました。初めのうちは毅然とした態度で指導をしたり、期日に提出できた際には褒めたりといった一般的な指導をしていたものの、変化は長くは続きませんでした。

宮口(2019)は、「褒める教育だけでは問題は解決しない」と指摘します(p.29)。

褒めることよりも、忘れ物をしないような注意・集中力をつけさせなければ問題の根本的な解決にはならず、褒める教育は問題の先送りにしかならないと言います(p.29)。

生徒Aの特性や生育歴、学習の様子を継続的に見ていく中で、この生徒は時間の見通しをもつことや計画を立てて行動することに極度の困難さを抱えているということに気がつきました。そこで、長期休業中の課題を1日にどれだけこなせば期日までに終わらせることができるのかを表にまとめ、その計画通りに課題に取り組ませる指導に改めました。家庭にも協力を仰ぎ、その日のノルマを達成できたかを毎日確認していただきました。提出日までに残された時間と、取り組まなければならない課題の量が可視化できたことが効果的だったのか、その指導に切り替えてからは提出期日を守ることができるようになりました。

宮口(2019)は、時間の概念が弱い子どもは昨日・今日・明日の3日間くらいの世界の中で生きており、場合によっては数分先のことすら管理できない子どもも少なくないと指摘します(p.54)。生徒の特性を見極め、それに合った指導を提案することが教師には求められると改めて実感させられました。

「ダメだとわかっているのにやめられない」のはなぜ?

生徒Bは気持ちを言葉で表現したり、ストレスをコントロールしたりすることが苦手で、感情的になるとすぐに手が出てしまう傾向がありました。一度感情的になると、物に当たったり相手を叩いたりといった衝動を止めることができなくなってしまうため、複数の教師から厳しく叱責されることも少なくありませんでした。しかし「自分は何も悪くない」という気持ちが本人の根底にあったため、指導を受けることがかえって本人のストレスとなり、問題行動が繰り返す状態になってしまいました。

担任としては、生徒Bとの交換ノートを作成し、そこに日々の出来事や怒りを感じたことを書かせ、感情を小出しにできるよう努めました。徐々に落ち着いた学校生活が送れるようにはなったものの、生徒Bは「ダメだとわかっているけど止められない」という葛藤を抱き続けていました。

宮口(2019)は、コミュニケーションが苦手、感情的になりやすい、相手のことを考えずに行動してしまうといった非行少年によく見られる特徴を6つ提示しています(pp.47-48)。

①認知機能の弱さ

②感情統制の弱さ

③融通の利かなさ

④不適切な自己評価

⑤対人スキルの乏しさ

⑥身体的不器用さ

私は生徒Bに対し、心理面からの働きかけにばかり注力していましたが、感情をコントロールしたり予想外のことに対応したり、相手の立場になって考えたり想像したりするといった思考には「認知機能」が大きく影響します。本人の困難さに寄り添い、悩みを聞き出そうと努めても、本人の認知能力に何からの問題がある場合にはそれが効果的に働かないことも少なくないということが見えてきます。上記の特徴を理解しておくことで指導を改善できたり、専門機関の協力を得たりすることも可能になります。結果的に、本人の苦しみを少しても緩和することができるかもしれません。

目に見える子どもの姿だけで判断しないために

生徒指導において重要なのは、目に見える子どもの姿だけで判断してはならないということだと考えます。その子の特性や生育歴、本人が抱える困難さとしっかり向き合い、考えうる可能性を様々想定しながら、医療・福祉・教育の様々な視点から支援方法を考えていくことが重要だと考えます。そのためのきっかけや新たな視点に気づかされる作品でした。教育関係者のみならず、教員を目指す学生さんや保護者の方々にもお勧めしたい作品です。